左に1時間くらい歩くと大滝なのだが、それはまた別の機会ということで、右に進む。
木陰になっているので、どちらに進むにしても、ちょうど良い休憩地点かもしれない。
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周囲の木々が気温をちょっと下げてくれているはずなのだが、やはり日向は暑い。
っというか、八丈島は紫外線が強い気がする。
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ヘアピンカーブが続く中、右に曲がっていく方向だと左側の山からせり出した木々が日陰を作ってくれる。
それほどきつい道中ではないが、日差しの強い季節には嬉しい。
八丈富士側はまったく日陰がないので、真夏は辛いのだ。
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徐々に三原山山中に入ってきたのだが、木々が多いので、真夏でも下界より空気が冷たいというか爽やかなのだ。
この道を使って樫立方面に向かう人は少ないため、道路の真ん中を歩いてもなんら問題ないが、時折車がやってくるので注意しよう。
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やや勾配がきつくなってきたのか、ヘアピンカーブが続き始める。
アスファルトではなく、ちょっと年季の入ったコンクリート路面で、この道が防衛道路と呼ばれているのは、戦時中に作られたからで、道の幅は戦車が通れるのを基準にしていると聞いたことがある。
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車でのぼれば10分もかからない、まだまだ山の入口ながら、車の音は消え、すでに山の中に入ってきた感じが強く、鳥の囀りもあり、なにより緑の濃さが目に優しいのだ。
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この道を駆け上がっている電気であるが、火力発電がスタートした1957年(昭和32年)からと思われる。
坂上に電気を供給するので、町中ある電線より数が多いのだが、まぁ歩いているかぎり、そんな事を気にする人はいないだろう。
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1927年(昭和2年)の翌年には三根村、樫立村、中之郷村にも電気が通る。
そして1929年(昭和4年)には末吉村にも通り、全島に電気が通ったのだが、この道を駆け上がる電気は火力発電にかわってからのものであろう。
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無線の路というか電気の銀座ともいわれる道を登っているのだから八丈島の電力関係についてしらべてみると、八丈島に初めて電気がついたのは、1927年(昭和2年)の9月28日に大賀郷村とのこと。
およそ80年前の話なのだが、そんなに昔でないことにちょっと驚いた。
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