優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)

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この神社に祀られているのは、大国主命(オオクニヌシノミコト)の子である、事代主命(コトシロヌシノミコト)の妃優婆夷姫(ウバイヒメ)=八十八重姫(ヤエヤソヒメ)と、その子の許志伎命(コシキノミコト)=古宝丸(コホウマル)である。
遙か大昔、事代主命は日本全土を天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫にゆずって、一族の方は妃八人をともなって、伊豆諸島を領した。
その妃の一人である優婆夷姫と子の事代主命が八丈島を開拓し、発達させたと言われている。
そして、優婆夷姫は優婆夷大明神、許志伎命は宝大明神として、八丈島創始の祖とされているのだ。
また、神社の創建は古く、約千年前にへんさんされた、延喜式にも載せられている本島最古の神社でもある。

八丈島歴史民族資料館

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かつての島庁で、その後東京都八支庁庁舎と使われていた建物を支庁の移転後、八丈島の歴史・民族・文化に関する資料や、考古資料展示する場所をしうて整備され、昭和50年に資料館として開館しました。
八丈島の高温多湿な気候に対応した建物で、湿気を調節するために釘を一本も使わず、通気性を考えた壁板が特徴的です。

メットウ井戸

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江戸時代以前のもの見えるが、1880年(明治13年)と比較的最近の井戸で、当時の大賀郷村の人達の手によって掘られ、なんでも3700人あまりが動員された記録が残っている。

垂直に筒状の井戸を掘る技術が未発達のころは、周囲を切り開きスリバチ状に掘りるまいまいず井戸というのが各地に作られたが、八丈島のメットウ井戸は大規模なものである。
まいまいず井戸の「まいまい」はカタツムリの事であるが、八丈島における「メットウ」とはギンタカハマという海でとれる大型の巻き貝の八丈方言名。どちらもみかけが螺旋状にぐるぐると回っている。
三原山山系は水を溜める地層で川もあるが、八丈富士側は水が溜まらない地層で、降水は海に流れ出てしまう。その水を海に出る前に溜め込んだのがメットウ井戸である。
当時は村人ばかりでなく、寄港する船にとっても重要な飲料水であり、昭和30年にこの地区に水道が出来るまで生活用水などに使われていた。
昭和55年2月22日 都の文化財に指定。
[map:33/5/49.817,139/46/27.613:MW]

島酒の碑

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「薩州阿久根の商人 丹宗庄右衛門、唐船交易の科により御用」っと江戸の旅籠での一言が八丈島の焼酎の歴史を大きく変える事になる。
一八五三年、庄右衛門は今でいう密輸の罪で遠島、八丈島に流罪となった。
当時の八丈島は塩害や飢饉に襲われる事が多く、米の収穫が少ない。
貴重な米で酒を造る事を禁じられていたところ、庄右衛門が穀類を使わないで酒を造るのはどうか?と提案。役人はそんなことが出来るわけないから好きにしてよいという返事であった。

三根大神宮

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天照大神(あまてらすおおみかみ)祀る神社で、昔は荒島(あらしま)護神(ごしん)と呼ばれ、明治二十年に伊勢宮(いせぐう)と改めたが、いつのまにか、通称の「三根大神宮」と呼ばれ親しまれている。
大神宮の由来は、1711年、三根村に漂着した大坂の伝法船の乗組員の中に疱瘡患者がいたため、助けた三根村村民に疱瘡が伝染してしまい、多くの村民が苦しみ亡くなった。
それを見かねた、当時の村長であった浅沼半右衛門が、この地に伊勢宮を祀り、懸命に祈願した所、それまで猛威をふるっていた疱瘡がたちまち治まったという。
それ以降、伊勢宮への信仰心が厚くなったといわれている。

例大祭:10月

2006年10月21日(土)
10時~ 船主祈願(船主)
11時~ 式典(来賓・総代) 11時~
17時~ 夜店 日没~
18時30分~ 小、中、高校生カラオケ大会・バンド演奏
2006年10月22日(日)
担ぎ手募集中!
8時~ 神輿・山車 参加者集合
(雨天時は子供神輿・山車は中止)
9時~ 神輿担ぎ手のお祓い祈願
10時~ 山車・神輿出発
17時~ 夜店
18時30分 演芸・カラオケ等
[map:33/7/3.166,139/48/21.919:MW]